★お猿さんの遠吠え

 こんにちわ。15歳の時クラスの女子が好きな人から貰ったというひし形に折られた手紙を丸呑みしてやった古賀です。その怒り頂点に達した様子で「やって==良い事と==悪い事が==あるやろ=!!」と怒鳴られました。引っ込みつかなくなったので飲みました。
 この怒鳴られた台詞。僕は今まで何度か言われた事がある。これを言われるのはかなりキテいる。言われたらおしまいみたいなトコもある。3歳児に使う言葉の様にも思う。という事はやっぱり僕はまずい。紙一重なのだ。紙一重で超ド級に大爆笑が頂ける。そこの緊張感がたまらない。最低だ。
 一生懸命の真剣な心は何があってもぶん殴ってはいけない。思えば僕はそんな心を殴ってばかりいた。過去を振り返る事にはどうもネガティブなイメージが付き物だ。でも別に万年アクティブなエネルギッシュメンに魅力を感じている訳でもないので自分に嘘つかないで行こう。もちろんいまさらあの頃に戻れる訳は無いのだし、いざ戻してやると言われても「ヨッシャー」と無邪気に喜べる程単純なモノでも無い。記憶の中、時間旅行で目を閉じ散策してみる。「あの時決断を急ぐ必要があったのだろうか」とか「あの時発した言葉は誤りではなかったか」正直そう思う事はある。でもきっとその時は自分なりに一生懸命だったのだろうし、どうでも良い時間は記憶が途切れている。それらの時を今の自分に生かしきれているのかなぁ。ここがきっと重要なのだろう。『失敗は成功のもと』これを実感出来た事がまだ無い。失敗は見事に失敗として傷跡と後悔を刻んでくれた。知らず知らずのうちに感覚が経験として僕を助けてくれているのだろうか。子供が痛みを通じて何かを学ぶ様に。
 過去は振り返らない。今を生きる。素敵な事だ。そうありたいと思う。でも僕はそんな強い人間ではない。過去を振り返り自分の足跡を眺める。それでも今を生きているのだ。後ろ向きでも歩くしか無い。その歪んだ足跡や急ぎ足で付けた跡や迷い跡、いい加減な足跡も紛れも無い僕なのだ。
 現在僕が残している足跡はどんな形をしているだろう。きっと衰弱しきった力無い跡なのかもな。一歩踏み出す度に過去を振り返る、そんな貧そな跡を残しているんだろうな。でも流れてくこれからの時間を胸張ってすすむしかない。何事も自分の判断でやって来た。やりたくない事をやってきたのもまた自分の判断だ。強制されてやったのも自分。そして誰かの精一杯の心をぶん殴ったのもまた僕だ。
 「別にこんな辛気くさいすすめ読みたくねぇ」と読者の声が聞こえてきそうだ。ハッタリで生きる僕の心が溢れそうになったらここで吐き出す事もあるよ。人間じゃねぇか。今朝食事してたら口の中噛んじゃって血が出たよ。真っ赤な血みてたらさぁ、「俺も人間じゃねぇか」ってね。しみじみね。 
 ぶっ倒れてぶん殴られて蹴飛ばされても歩くぜぃ。今を、ただひたすらに今を。過去もぜ〜んぶ背にしょって力一杯歩くしかねぇ。
 今少しだけ元気がない貴方。負けんな。生死に関わる様な悩みなんざそうそう無ぇよ。あいつらも人間だ。自分よりちょいと世渡り上手な猿なんだ。